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おさんぽ、本、映画について書いていきます。

私の特別な一冊

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(242ページより)
でも今にして思えば、わたしは自分が強いことに慣れすぎていて、弱い人々について理解しようとしなかった。幸運であることに慣れすぎていて、たまたま幸運じゃない人たちについて理解しようとしなかった。健康であることに慣れすぎていて、たまたま健康でない人たちの痛みについて理解しようとしなかった。わたしは、いろんなことがうまくいかなくて困ったり、立ちすくんでいたりする人たちを見ると、それは本人の努力が足りないだけだと考えた。不平をよく口にする人たちを、基本的には怠け者だと考えた。当時のわたしの人生観は確固として実際的なものではあったけれど、温かい心の広がりを欠いていた。そしてそれについて注意してくれるような人は、まわりには一人もいなかった。

私の特別な一冊といえば、「スプートニクの恋人」です。これは私が映画でも観ようかなと思って軽い気持ちでみた「パリ・ジュテーム」という映画に出てきていてはじめて知りました。パリ・ジュテームは短編寄せ集めのオムニバス映画です。その中の赤いコートの女の人の話(“バスティーユ”)で、スプートニクの恋人をフランス語で旦那さんが奥さんに読み聞かせる場面がありました。当時私は村上春樹のことも全然知らなくて、外国で読まれるなんてすごすぎる!なんて日本人だ!と思って、読んだのが6年くらい前のことです。
当時は私もすみれより若くて(19か20)僕なんて年上のイメージでしたが今となると等身大?くらいの年代ですね。


さて、冒頭の文はミュウのセリフ。6年前は微塵も気にならなかったのですがもう一度読み返してミュウにもそんな気持ちがあったんだと思いました。私も弱い人に非寛容だったかもしれないという戒めでもあります。私もわりとラッキーで過ごしてきたのです。もちろんトップオブザワールドではないし、それにミュウみたいにハイパーな能力もないけれど。そしていろんな人に会って、年月を過ごすうちになんとなく、努力だけで全てが解決できるわけじゃないんだ、と思うようになりました。なので人に努力を強要しないように。6年の歳月でひとつ人に優しくなれたようですね。なみだ。


この本はお気に入りなのでフランス語版を買ってきて三年くらい続けて仏文和訳もしていました。“僕”がギリシャに行くあたりでストップしてしまいましたが…。最初のほうは自己紹介が多くて基本的な構文も多いのでなかなかいい教材になります。